それから私の環境は一変しました。それまで私は私立の小学校に通っていたのですが、
経済的な理由から辞めざるを得なくなり、公立の小学校に転校したのです。
音楽の夢をあきらめなくてはならなかっただけでなく、親しかった友人たちと別れなくては
ならなかったのでその頃の私は毎日のように泣いていました。
しかし、父と母に心配をかけてはいけないと、必死に元気を装い、学校に通っていたのです。
それまで私が通っていた小学校と、公立の小学校では何から何まで違っていました。
まず、私が通っていた小学校は制服があったのに、公立の小学校には制服がないのです。
これは驚きでした。軽いカルチャーショックを受けたのも事実です。
洋服に関してそれまでそんなに悩むことはありませんでしたが、公立の小学校に行くようになって、
何を学校に着ていったら良いのかわからずに、いつも悩んでいました。
親が着させてくれたのですが、当時家にあった服といえば、よそゆきの服が多かったのです。
しかし、小学校でそんな服を着てくる子なんていません。ですから、どうしても私は教室の中だけでなく、
学校中から浮いた存在になってしまいました。
実はいじめられていました
そして、それが原因で最初のころは良くいじめられました。
他の人と違うというだけで、私はいじめられたのです。これは本当につらいことでした。
言葉遣いが違う、しぐさが違う、持ち物が違う。
そんなささいなことでも、すぐに人と違うところをみつけ、いじめをエスカレートさせるのです。
それでも私は親に余計なことを考えさせたくなかったので、自分がいじめられていることを
親にも先生にも言うことはしませんでした。自分ががまんすれば、何とか乗り越えることが
できるだろうと思っていたからです。
逃げずに立ち向かった結果
しかし、だんだんとそれまで私のことをいじめていた子たちも、それに飽きてきたようでした。
そしてそれと入れ替わるようにして私には自然に友だちができました。
どんなにいじめられても、それにひるまずに行動していたところが認められたようです。
ひとりふたりと私の周りに仲の良い友だちが集まってくるようになり、
彼女たちは私のことを慕ってくれました。時には彼女たちの相談相手にもなってあげました。
ずっと公立の小学校ですくすくと育って来た子たちにとってみれば、
私立から転校してきて、いじめを克服した私の存在はとても大きかったのでしょう。
私自身もまるで彼女たちのお姉さんのような気持ちで接していました。