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  3. 生まれた頃の私について

私は東京の郊外で生まれ、父は実業家でいくつかの飲食店を経営していました。
先見の明があるのか、当時としてはとても珍しい洋食屋を開いておりました。
その洋食屋がその頃としてはとても珍しく、かなり仕事も順調に進んでいたようです。
そのために、私の生まれた頃は、裕福な生活をしておりました。

郊外ながらも、一軒家の我が家は、その地域では知らない人がいないほど大きく、
広い庭があり、しばしば外国人のお客様を招いてはパーティーが開かれていました。
当時としてはそういう家はたいそう珍しかったように思います。

たくさんの人が遊びに来る家

私が生まれた時から我が家には大勢の人たちが出入りしておりましたので、
私のこの人好きな性格は、当時から自然に身についたものなのではないかと思います。
母の話によると、子供の頃の私は、まったく人見知りをすることもなく、
自分から積極的に家に来た初めての人たちと話をするような子だったのだそうです。
たとえそれが外国人であったとしても、基本的な挨拶ぐらいは習っていたので、片言の英語で
挨拶をしていたのだとか。

私が紆余曲折を経て、今、こうしてネイルサロンのオーナーになれたのも、その頃の経験が
少なからずも役に立っているのではないかと思います。

小さいころの経験のおかげ

小さい頃の私は、大勢の人たちとお喋りをするのが好きでした。大人の人たちも私のような
子供がとても珍しいのか、良い話相手になってくれました。
当時私がどんな話をしていたのかは、もう今となってはすっかり忘れてしまったのですが、
私の話に周りの大人たちが大笑いしていたのは今でも覚えています。
当時の私は、「面白い子」「明るい子」「一緒にいて楽しい子」と言われていたと
両親は教えてくれました。それを聞いて、私はますます、自分から人々を楽しませたいという
気持ちになったのでしょう。

母は父のお店の手伝いをしていましたので、基本的に両親とも接客が大好きだったようです。
そういう両親の血筋を引いているわけですから、私も自然と人と接することに楽しみや喜びを
感じていたのでしょう。両親とも、子供の私が誰とでもすぐに仲良くなる姿を見て、とても安心したようでした。
子供ながらに、周りの人たちを楽しませるにはどうしたら良いのか、
どうすればみんなが私に注目してくれるのか、ということを考えていました。
そうなのです、当時から私はどちらかというと、目立とう精神が旺盛なところがあったのです。